スペシャル粋トーク

2013年 秋号

フルーツ・フラワーパークをブッチャートガーデンに

坂野 国内で野菜・果物の生産、加工を行っているほか、世界から農産物を開発輸入されています。まず、会社の歴史を教えてください。

石田 両親は神戸中央卸売市場の場外で青果業を営んでいました。私は大学を出て一般企業に就職していたのですが、母がカット野菜を生産する会社を買収するというのでその交渉を手伝っていたところ、お前そのまま社長をやれということで、日本初の本格カット野菜工場の経営を引き受けたのがスタートです。その後、1978年にサクランボの輸入が自由化になるということで、政府が選んだ輸入業者を出し抜いて、日本航空の社長に直談判してチャーター機を確保し、サクランボを初めて日本へ持ち込みました。百貨店に行列ができて、あっという間に輸入した1240ケースが売れました。

神戸市兵庫区生まれ。兵庫高校、同志社大学を卒業後、サラリーマン生活を12年続けたあと、清浄野菜普及研究所専務に。1975年に、エム・ヴイ・エム商事を設立し社長に就任。2001年から会長。同志社大学校友会兵庫支部副支部長も務めている。
http://www.mvm.co.jp/

坂野 発芽後間もない若い葉っぱの野菜をベビーリーフとして販売したのも石田会長のアイデアだそうですね。

石田 1993年に米国のオークランドへ出かけ、オーガニックレストランで食事をした時に初めて若い野菜を食べました。シェフに頼み込んで、輸入する約束を取り付けました。そのシェフが、阪神・淡路大震災の時に真っ先に野菜を被災地に送ってくれました。ところが虫がいるからといって空港の検疫所に廃棄処分されたのです。腹が立って「国家公務員は国民の生命と財産を守るのが仕事やないか」と怒鳴りつけました。結局、再度送ってもらい避難所に配り歩くことができました。しかし、今度は輸入していたべビーリーフを全量検査すると言い出しまして。仕返しでしょうね。それで、丹波市山南町でベビーリーフの栽培を始めたのです。その場所で10年前に県内初の農業生産法人を設立して、全国の農業生産法人で初めて事業を黒字化させました。現在、20人ほどの従業員が働いています。

坂野 ご経験をもとに神戸を良い街にしていくためのアイデアがあれば聞かせてください。

石田 1988年にカナダのバンクーバーを訪ねた時に、ブッチャートガーデンという庭園に行く機会がありました。もともとセメント会社の採石場跡地に、オーナー夫妻が花を植え始めてできた庭園で、世界各地の庭園をとり入れ、花を立体的に見せる工夫などをして、年間100万人の観光客を集める名所になっています。私は5年前に神戸市から、北区にある市立フルーツ・フラワーパークを再生させるアイデアはないかと相談を受けて、ぜひ、ブッチャートガーデンのようにしてはどうかと提案しました。そして提携の可能性も打診し、いい感触が得られました。でも役人のやることはそこまで。アイデアだけは聞くけれど、実行に移そうとしないんです。ブッチャートガーデンができれば何ができるか。バックに花を作るハウス農家やきれいに手入れをする造園業者が必要になります。つまり雇用が生まれるのです。ゆとりを持って生活できるだけの給料をもらえる雇用を生んで、地域でお金が回るようにする。これが大事なことです。

坂野 雅(ばんのまさし)/東灘区・昭和51年生まれ
坂野 雅(ばんのまさし)/東灘区・昭和51年生まれ

神戸市東灘区生まれ。株式会社ARIGATO-CHAN代表取締役社長。甲南大学経済学部卒業後、広告会社の博報堂を経て、株式会社ARIGATO-CHAN設立。『NUNOBIKI NO MIZU』を代表作として、観光を切り口に、ハートフルな企画で、地域活性化に繋がる各種プロジェクトのディレクションや企画立案等、幅広く携わる。また『街そうじ』をプロジェクトにした全国で活動する『Green bird神戸チーム』のリーダーも務める。
http://arigato-chan.com/

坂野 旺盛なアイデアを支える思いは何ですか。

石田 私は50歳の時に心臓をわずらって、死にかけました。その時、お医者さんから「手術をすればあなたの寿命はあと20年延びる」と言われました。今、77歳。余分な人生を生きさせてもらっています。だからこそ限られた人生を、自由気ままに、毎日がスペシャルの気持ちで、かつできることをきっちりやろうと思っています。大切にしているのはミッション、コントリビューション、ボランティアという3つの言葉。大好きな神戸の街を変えることが私のミッションであり、そのためにできることを全力でやっていきます。しかし、残念ながら神戸市の今のお役所体質が続くようでは、神戸は変わることはできません。10月27日の神戸市長選挙が、神戸を変えるきっかけになる大事な選挙になると思っています。

坂野 神戸はもともと素晴らしいものを持っています。それを生かせば、神戸はもっともっと素敵な街に生まれ変わるはずです。私も微力ながらそのお手伝いをしていきたいと思っています。ありがとうございました。

ばんのまさし今回のツボ

『クレイジーが元気の源になっている』『クレイジーだと思う人間が10人いると成功する』『相手は吸うから、しゃべる時は吐きなさい』石田会長のお話は全てが熱くて、圧巻でした。とても喜寿を迎えられた様には見えず、更に年々エネルギーを高めておられる様に感じました。誰もが知っている『ベビーリーフ』や『アメリカンチェリー』これらを日本で初めて輸入・販売してきた石田会長。常にこれからのニーズ・視点を持っておられ、アイデア・エネルギーのかたまりの様な方でした。なによりも神戸の一企業だと言う事が驚きでした。フルーツフラワーパークを再生させるには、年間100万人の観光客が訪れるカナダのビクトリアにある植物園ブッチャートガーデンの様に、という提案。いろいろな知見と情熱を持って行動されてこられたからこそのアイデアで、非常に興味深いものでした。『我々は子供時代、神戸に住んでいる事を誇りにしていた。再び輝く神戸を取り戻したい。神戸が変われば、日本も変わる』とも語られました。他都市と比べて、地元愛の強い都市、神戸。日本で一番最初に世界のモノや文化を取り入れてきた神戸人のDNA『進取の気性』を継承し、常に未来についてのワクワクなアイデアが生まれて、議論ができる場所であって欲しいと思います。その為には、僕達世代も地元神戸への意識を深く持ち、熱く神戸を盛り上げていくことができればと感じました。今は、まったく背中が見えませんが(笑)、石田会長の様に年を重ねるにつれて、かっこよく生きたいと憧れを感じました。

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