スペシャル粋トーク

2014年 冬号

大変革期こそチャンス 再び神戸から発信を

坂野 藤田さんは生粋の神戸っ子だと聞きました。

藤田 先祖は北野で庄屋をしていました。そして曽祖父は、明治19年に、当時神戸で盛んだったマッチ製造業者向けに原料を供給する会社を興しました。全国各地からガラスや硫黄など原料を集め、今の神戸山手大学の近くに水車をこしらえ細かく粉砕していたようです。

坂野 その藤田さんから見て神戸という街の個性は何だと思われますか。

藤田 幕末に港ができてから、神戸は世界と日本を結ぶ窓口になりました。マッチ産業やゴム及び靴産業、ひいては鈴木商店の系譜を引く商社や鉄鋼業、重化学工業の会社が誕生したのも、神戸が世界の窓口だったからです。今こそ、その価値を再評価すべきです。

坂野 私のオフィスは今、旧神戸生糸検査所の建物だった「KIITO」という施設の中にあります。生糸が日本の輸出産業だった当時、神戸は横浜に次いで全輸出量の3割を占めていたそうです。そのような話を聞くと、もっと神戸の歴史を知りたくなります。藤田さんは、今、神戸発の靴素材を世界に輸出されているそうですね。

株式会社フットテクノ代表取締役社長。社団法人感覚刺激と脳研究協会理事。NPO法人健康まちづくり推進協会副理事長。英国ノーサンプトン靴大学・財団法人SATRA総合研究所にて、足と靴及び素材の研究を行う。米国ペンシルバニア大学にてジョギングシューズと素材のコンセプトを学ぶ。日本から初めて、超軽量底材や新機能素材を輸出。1987年、足と脳に着目し靴素材開発と販売を目的に株式会社フットテクノ設立。
http://www.foottechno.co.jp/

藤田 靴の研究のためにイギリスの靴総合研究所で学びました。そして、作り方から、素材、製造方法を勉強して、長田の靴メーカーや全国のトップメーカーに伝授しながら素材を売っていきました。しかし、それだけでは物足らなくなってきました。メイドインジャパンの素材を、神戸港から世界に輸出したいと思うようになったのです。アメリカに渡ると靴の大革命が起きていました。国を挙げてジョギングブームに沸いていたのです。ところがスニーカーで走っていたために、足やひざや腰を傷める人が後を断ちませんでした。そこで、今までにない新しい靴・ジョギングシューズが生まれました。私はジョギングシューズ用にショックを吸収する素材などを開発し、それがナイキやリーボックに採用され、その新機能シューズで走った選手がオリンピックのマラソンで金メダルを獲得しました。変革の時は、ゼロからよーいドンの競争が始まるわけで、それまでの常識の中で活躍していたプレーヤーを追い抜くことができるのです。

坂野 変革の時こそチャンスというわけですね。時代の変化をどうとらえるか、その視点が大切だと思いますが、藤田さんは今の時代をどのようにとらえていますか。

藤田 私は今年がまさに大変革の時だと思っています。一つはエネルギーの問題です。これまでは、石油の恩恵を受け、生活が便利になりました。その石油に代わるエネルギーがシェールガスであり、水素エネルギーです。シェールガスはアメリカが70年をかけて開発した資源です。この開発、利用に鋼管、LNG船、炭素繊維など日本の技術が多く使われています。また製造面では3Dプリンターの実用化が進みます。従来ものづくりには金型が必要でしたがそれが不要になります。オバマ大統領はその布石として、全米の大学に3Dデザインの科目を設置しました。まさに、エネルギー革命、素材革命、そして製造革命が起ころうとしているのです。もう一つは物質文明から精神文明への変革です。その象徴が東京五輪の開催、そして和食のユネスコ無形文化遺産への登録です。このことは、日本の伝統的な考え方、礼儀作法やおもてなしの心を世界が認める時代になったことを表しています。

坂野 雅(ばんのまさし)/東灘区・昭和51年生まれ
坂野 雅(ばんのまさし)/東灘区・昭和51年生まれ

神戸市東灘区生まれ。株式会社ARIGATO-CHAN代表取締役社長。甲南大学経済学部卒業後、広告会社の博報堂を経て、株式会社ARIGATO-CHAN設立。『NUNOBIKI NO MIZU』を代表作として、観光を切り口に、ハートフルな企画で、地域活性化に繋がる各種プロジェクトのディレクションや企画立案等、幅広く携わる。また『街そうじ』をプロジェクトにした全国で活動する『Green bird神戸チーム』のリーダーも務める。
http://arigato-chan.com/

坂野 私は灘の酒を世界に発信する使命があると考え、そのプロジェクトを仕掛けています。まさにこのチャンスを生かして、神戸の誇る文化をアピールするチャンスになるのではないでしょうか。

藤田 その通りです。神戸にとっても千載一遇のチャンスです。この大変革の波に乗って、例えば大型LNG船が着岸しやすい港を作るとか、3Dプリンターを扱える人材を養成するとか、さまざまなことが考えられます。神戸が再び世界の情報発信の窓口になれるのです。このチャンスをどう生かすか。神戸市や企業の姿勢が今こそ問われます。

坂野 今日のお話を聞いて、使命を持つ大切さ、をそしてその使命を大変革の時代に乗りながら実現していくタイミングが今だということを知り、とても心強く思います。

藤田 閉塞感にいつまでもとらわれていたら、この大きなチャンスを逃すことになります。若い世代から高齢者まで、年齢に関係なく誰にでもチャンスがあります。76歳の私もそうです。ぜひこの新しい年を飛躍の年にしていただきたいと思います。

坂野 ありがとうございました。

ばんのまさし今回のツボ

『これから100歳時代になっていく中、年齢に関係なく、脳と筋肉は鍛えれば鍛える程、進化していく』『未知に対して、新しいことをいかに勉強してチャレンジすることが大切』『絶対にできるんだという夢を持つことが、非常に大切』
当時遅れていた日本の靴産業の中で、素材だけでも世界のトップメーカーに向けて輸出したいとの夢を描き、ジョギングシューズの超軽量機能素材をはじめ、新素材の開発を行い、日本人として初めて世界に、神戸発の靴の機能性素材を輸出した藤田社長のお話は、大変力強く、気づきに繋がる"熱すぎる言葉"ばかりでした。
エネルギー革命・素材革命・製造革命など、今後、大きく世界が変わる流れの中、日本の精神文化が海外で必要とされていて、世界のイニシアチブをとっていく時代。
明治以降に、海外の情報の窓口として、日本の先鞭をつけてきた神戸として果たす使命は大きく、その大切な使命を意識しながら、グローバルな発想で、地元神戸への関心度が高まるきっかけづくりを仕掛けていきたいと強く思いました。
世界で活躍する熱量の高い先輩方がいる神戸。益々、大好きの熱量が高まりました。

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