スペシャル粋トーク

2014年 秋号

神戸からこだわりの商品を発信

坂野 来年で創業130年と聞きました。初の国産ソースメーカーが神戸にあるということは私たちにとって誇りです。

安井 創業者は曽祖父の安井敬七郎です。仙台藩典医の家柄で、生物学、医学を学び、成人してから東京に出ました。当時、ドイツから来ていたワグネル博士に師事し、工業化学を勉強しながら全国を一緒に回ったそうです。そこで神戸を訪ねた際に、「神戸にはおいしいお肉があるのになぜ日本にソースがないのか」という話題になりました。そこで当時輸入されていた英国のリー&ペリンのソースを分析して、日本人に合うソースを東京でつくったのが日本初の国産ソースで、明治18年のことです。その後、英国に渡ってリー&ペリンで製法を学んで帰国した後、神戸に工場を建てました。当時の工場の写真に敬七郎が写っているのですが、タートルに山高帽をかぶってとてもおしゃれです。

坂野 まだまだ日本人にはなじみのないソースだったと思いますが、はじめは売るのにも苦労されたのでしょうね。

安井 「栄養調味料」と銘打って洋食だけでなく和食に合わせた提案も行っていたようです。他にもワインを女性に販売すべく「レディワイン」と銘打って、1月は文化屠蘇、2月はにんじん酒とサフラン酒などのようにひと月ごとに趣向を変えて売っていました。

明治18年(1885年)に創業した国産初のソースメーカー、阪神ソースの六代目社長。
1975年に甲南大学経済学部を卒業後、株式会社小網(現・三井食品株式会社)を経て、1980年に阪神ソース株式会社入社。1993年代表取締役に就任。

坂野 その当時で提案型の商売をなさっておられたことに驚きます。今なおそのこだわりでソース作りを続けておられますね。

安井 30年前の創業100周年の時に商品化したのが3~5年貯蔵したソース「SUNRISE SAUSE」です。JAS規格ではソースの賞味期限は3年となっていますが、本当においしいソースは3年くらいから熟成が始まるのではと考え、当時最高の原料を使い製作しました。
また、創業120年にはソースの原点に立ち戻り、もっとシンプルなソースを作りたいと考えました。明治30年当時の敬七郎のレシピを参考に、原材料をシンプルに見直し、出来上がったのが、創業者の名前をつけた「敬七郎」です。
30年前に工場を建てた時、得意先から従来の釜を替えないでほしいと懇願されました。現在ある1200リットル入り、直径2・5mのお釜は下から直火で炊いています。蒸気釜のほうが時間は早く効率は良いのですが、直火のほうが煮立ったソースがちりちりして風味が出てくるのです。昨今、砂糖・醸造酢などの価格が高騰しているため、代わりに甘味料や合成酢などを使用したりし、本来の食品からかけ離れていっているように思います。でも、私共はお客様にご理解いただける原料を使用し、よりよい食品をこれからも作っていきたいと考えています。

坂野 僕が入居しているKIITOは、旧神戸生絲取引所の建物です。かつて全国から集められた生糸が手をかけてチェックされ、ジャパンクオリティとして輸出されたことが実感できる場所です。神戸は食にかかわるメーカーが多く、お互いに切磋琢磨しながら商品を磨いていける環境にあるのではないでしょうか。

安井 中学生のある時、清酒の剣菱さんの会長とお話する機会がありました。そのときに「小学校3年生の子に同じ大きさの石を持たせて投げると、たいていの子は10m投げる。だから12、13m投げる子は目立つ。ただ、20m投げる子はすぐに肩を壊しよる。大きなったらソースを作りや」といわれたことを鮮明に覚えています。本物にこだわりながらも無理はせず、時代に合わせてよそとは少し違うものを作っていこうと考えています。

坂野 雅(ばんのまさし)/東灘区・昭和51年生まれ
坂野 雅(ばんのまさし)/東灘区・昭和51年生まれ

株式会社ARIGATO-CHAN代表取締役社長。甲南大学経済学部卒業後、広告会社の博報堂を経て、株式会社ARIGATO-CHAN設立。『NUNOBIKI NO MIZU』を代表作として、観光を切り口に、ハートフルな企画で、地域活性化に繋がる各種プロジェクトのディレクションや企画立案等、幅広く携わる。また『街そうじ』をプロジェクトにした全国で活動する『Green bird神戸チーム』のリーダーも務める。
http://arigato-chan.com/

坂野 神戸にはソース会社がいくつかあります。連携して商品を販売していく取り組みがあれば、消費者、神戸に来た観光客からも注目を集めるのではないでしょうか。

安井 実はオリバーソースの道満雅彦社長とは甲南中・高時代からの同級生で、当社の国産初のウスターソースと、とんかつソースを初めて商品化したオリバーソースとで二つの商品をセットにした商品を「神戸はじめ物語」と名付けて売っています。

坂野 神戸は来年、阪神・淡路大震災から20年を迎えます。今、「手をつなぐ」という切り口であらためて神戸から発信できる企画を考えているところです。神戸は神戸港を窓口にさまざまな海外の文化と手をつないできましたし、震災の時にも内外多くの人が手をつなぐことで復興を果たしてきました。手をつなぐことが世界で一番似合う街に神戸をしたいと考えています。

安井 神戸からより良いものを発信できるように、これからもこだわった商品づくりを続けていきたいと考えています。

ばんのまさし今回のツボ

来年で創業130年、日本にウスターソースの歴史を作った会社が神戸にあると聞いて、心から驚きました。改めて、知らない事が多いなと思いました。

『栄養調味料』と銘打たれたソースから始まった歴史のお話。
当時から、提案型の商売をして、切口を大切にしていたお話。

『作られた品質より、自然のレシピ』
『大量生産、大量販売しない。技術力をもとに本物を売っていく』
『イギリスで産まれたソースではなくて、実はオリジナルのジャパニーズソース』

老舗メーカーとしての本物へのこだわりを持たれているお話。

『時代のニーズにあったものの、少し先のものを作ることが大切』
無理をするのではなくて、少し先のコトをするお話。

『切口』『本物へのこだわり』『少し先』『オリジナル』
130年続く歴史から、未来に繋がる有難いキーワードを勉強させて頂きました。

コミュニケーションにおいて、発信と同じくらい、受信(好奇心の感度)も大切なのではと最近感じています。

港町として、新しい文化に対しての好奇心のアンテナの感度が高かったから、神戸は初めて物語が多いのでは?
神戸は、好奇心が旺盛になる、感受性が豊かになる自然環境に恵まれているから、神戸には、アンテナの感度が高い、本物を目利きできるDNAが流れているのでは?

『I LOVE KOBE』に繋がる神戸がもっている素敵な歴史、物語がますます知りたくなりました。

港町神戸の好奇心の感度を大切にして、これからも、本物の新しい文化を発信していくことができれば、最幸ですね。

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